出身のアーカンソーを離れLAでセッション・ミュージシャンの仕事を始めたのが1958年。60年代に入りレッキング・クルーに参加するかたわらで発表したカントリー色の強い歌もの作品。のちにポップ・シンガーとして大成功する面影を漂わせつつ、まだ淡さをたたえた歌声には若い魅力があります。アレンジはジミー・ハスケル。
(LP)Too Late To Worry - Too Blue To Cry